大きく分けると「大脳」「小脳」「脳幹」といった部位によって構成されている脳は、今日の医療研究によってもその構造の全てが解き明かされたわけではありません。
しかし、よく言われることとして、人は生きている間に脳の5%ほどしか活用しておらず、残された約95%は全くの未開発の領域とされています。
これが本当とするならば、わずか脳の5%を使用するのみで、大きな不自由を負うことなく日常生活や学校での学習をこなす事ができるわけです。
しかし、95%の未使用領域の開発を試み、それにより1%でも人より効率的な脳の使用ができたのなら、きっとさまざまなことが他人より優れた点として顕著に表れるはずです。
また、同じように脳を「左脳」と「右脳」に分けた時、科学的にも医学的にも、その全容が解明されていない右脳が持つ能力を幼少期に開発することで、今後の人生において大きなアドバンテージを作ることができます。
右脳は巨大情報貯蔵庫です。
そこに日々五感を経由して膨大な情報が運ばれてきて、必要に応じてこれらをイメージ化して左脳とは異なった様式で出力します。
しかし、日頃から右脳トレーニングを行っていないと、右脳への情報入力はできても出力することはできません。
「ピンときた」「即座に答えが思い出せた」「頭の回転が速い」ことなどは、すでに脳に蓄えられている情報貯蔵庫から、適宜丁寧かつ瞬間的に必要な情報を探し出して出力しているのです。これが俗にいう「ひらめき」の正体で、右脳の働きによるものと言われています。
つまり、ひらめくということは決してあいまいな現象ではなく、しっかりとした根拠があり、そして入試などの要所で「ひらめき」を期待するのであれば、右脳の力を高めなくてはいけないのです。
右脳は未開発部分が多いからこそ、鍛えれば鍛えるほどその費やした時間や質に伴って開発が進みます。
脳の1%だけでも、右脳のほんのわずかでも開発、活性化させることができれば既述のとおり、子どもたちは将来秀でた能力を備え持つ者として、社会の中で活躍できる“人材”と成長するでしょう。
限られた時間内で「聞く」「見る」「触れる」「動かす」「考える」などの行動を同時に行うそろばん学習では高い集中力が必要で、必然的にこの力が身につきます。
右脳には、目にしたものをイメージ化して脳内に記憶する力があります。そろばんの珠の動きをイメージとして、右脳が記憶し、次々と進む計算問題にもついていくことができます。
子どもにとって「家族」以外の社会では常に競争が待っています。目標を持ち、学友とともに、成果を高めあうことで、競争力を高めて自分に自信を持ちます。
そろばん学習を通じて、自分自身に自信が持てると、自ずと積極的な思考力や行動力を持ち備えることができます。この積極性は発育期の人格形成において、大きな影響を与えます。
反復学習により、繰り返し行ったことが成果につながることを学びます
「継続ハ力ナリ」をそろばん学習で実体験し、一つのことを成し遂げるための継続力を身につけます。
普段の学習ではミスを軽くとらえず、ミスをしない環境を作り、トレーニングを行います。この力は集中力と相まって向上していき、学習以外の場面でも役立ちます。
五感で得た情報を右脳・左脳を介して出力する、一連のより迅速でより正確な流れが、この情報処理力によるものです。俗にいう「頭の回転が速い」人はこの力を持っています。
何事も初めから上手にこなすことはできません。習得期間中には苦手なことも地道に鍛錬する忍耐力が必要です。一つのことを成し遂げるために必要な力です。
子どもたちに“一瞬の機会”と出会える瞬間を
A.「携帯電話」「カメラ」「パソコン」・・・これらのような便利品が身の回りにあふれている今の子どもたちは、“便利さ”を手に入れたのと同時に、“一瞬の機会”の大切さを知る場が減少したように想います。
携帯電話一つをとってみても、もはや“電話”という一言ではとうてい表現できないほどの便利な機能を備えていますが、例えば「メール」を利用することで、その内容はいつまでも記録として残り、フェイス・トゥー・フェイスでの会話のように“一瞬の機会”を大切にする感覚がなくなりました。
また「カメラ」を利用することで、旅行先などでの素晴らしい風景も、写真として残ります。記憶に残すための思い出は、写真や動画という記録となり、いつでもその風景を目にして当時の楽しかった経験を思い返すことができます。
よって、一生に一度しかないこの場でのこの風景を、目に焼き付けるための“一瞬の機会”はここでも不要となりました。
他にも、学校の授業や、気になるニュースを聞き逃したら「インターネット」で調べることができるので、やはりここでも“一瞬の機会”の大切さは今の子どもたちには感じ取れないかもしれません。
このような日常生活の中での“一瞬の機会”の減少は、イコールとして“集中する機会”の減少でもあります。
“集中して人の話を聞く”、“集中して記憶する”、“集中して取り組む”必要性が少ない中で、集中力を高めたり、維持することはとても困難です。
しかし、勉強にしても仕事にしても、一つの成果を生むための取り組みを行うとき、絶対必要条件として集中力は欠かせません。
どれほど時間が豊富にあったとしても、集中力を欠いた勉強や作業では、投じた時間に対する成果は決して見込めません。
対して、短時間でも集中的な取り組み方をすることで、良い意味で時間と成果はアンバランスな結果となります。
“集中力の高さ”は“望む成果”につながります。
子どもであっても大人であっても、常に成果を望む場に身を置いていることに違いはありません。
そろばん学習で“一瞬の機会”と“集中力”を手に入れる
そこで、そろばん学習が注目されるのです。
そろばん学習では“一瞬の機会”を逃すと、もうお手上げです。
数の読み手のスピードに負けない体と脳の動きが求められ、一瞬たりとも集中力を欠かすことはできません。
目と耳と手と脳を同時に、かつ別作業させなくてはいけない点も集中力があるからこそ成立する術です。
“何をやっても長続きしない”“やってることが段々といい加減になっていく”“姿勢が悪い”“字が乱れている”“忘れ物が多い”・・・
などの状況も、その多くは集中力の欠乏が起因しています。そろばん学習は、単に“そろがんが使えるようになる”、“計算に強くなる”ばかりではありません。上記に述べた点も含め、日常で改善されない問題点も解消できる可能性を秘めているのです。
だからこそ、今そろばん学習が必要とされているのです。