2020-05-24

勉強が何の役に立つのか

五十部です。

 

 生徒からよく出てくる質問の一つに、「勉強が何の役に立つのか」というものがあります。しかしこれは、純粋な疑問というより「いや、勉強なんて何の役にも立たない。だからやりたくない」という反語的な意味合いを含んでいることがほとんどです。人は、自分のやりたいことをしているときには、「それが何の役に立つのか」などと考えることはしません。

 質問をしてきた生徒に、「ではゲームや音楽は何の役に立つのか」と問い返すと、だいたい「娯楽のため」とか「リラックスできる」などという答えが返ってきます。ただこれは、とても主観的な答えです。「世の中には、ゲームや音楽を楽しくないと思っている人も少なからずいるはず。そういう人たちがいても、楽しいと思う人がいればそれは役に立つもの。という意見が成り立つのだとすれば、勉強を必要だと思う人がいれば、それは役に立つものだよね」という大人げない屁理屈を通してしまいたくなります。

 そもそも、役に立つか立たないかが人間の行動原理ではありませんし、役に立たない(非生産的な)行動に価値を見出すことが人という動物の高尚さとも言えます。だから「勉強が役に立つか立たないか」は、「勉強をしなくていいかどうか」とは直接関係がない命題とも言えるでしょう。

 ――と、こんなことばかり僕が言っていると、勉強が単なる「屁理屈職人製造機」だという誤解を招きそうなので、真面目に勉強の価値について一つ例を挙げて話をしてみます。

 

 数学に、「場合の数」という、端的に言えば「ある事柄が全部で何通りあるかを考える」単元があります。小学6年生で初めて学習し、中学2年生と高校1年生でも出てくる、とても大事な単元です。

 例えば、「A,B,C,Dの4人がチームでリレーをする。走る順番は全部で何通りか?」と問われたとします。これを生徒に何の予備知識もなくやらせると、自分が思いつくままに順番をあげていった結果、多くの場合で数え漏れが生じます。なので、「まず第一走者をAで固定して、そのとき第二走者にはB,C,Dがきて……」という規則的に数えていく処理の仕方を、生徒には教えなければなりません。

 この「漏れが生じないための情報の処理の仕方の大切さ」は、将来子供が社会に出て仕事をするようになったときに、必ず役に立つものだと思います。

 

 勉強の本質は、問題を解いて答えを出すことそれ自体ではなく、問題を解くために必要な考え方やアプローチの仕方を学ぶ点にあります。そしてそれこそが、人生で起こる様々な問題に対してどうアプローチをしていくべきか、を考える際の大きな助けになってくれるはずですし、それを信じて生徒には日々勉強の価値を伝えていきたいものです。

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